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白滝住民が見た武田惣角(07/11/17)

 あまり開祖と関係のない話ばかりになってしまうが、ここでは開祖に大東流を教授し、後の合気道誕生に多大な影響を与えたとされる武田惣角師(以下、敬称略)について白滝住民から伺った話を記そうと思う。

 白滝はどちらかと言えば、合気道よりも大東流にゆかりのある土地である。というのも、開祖が白滝にいた当時修行していたのは大東流であり、また開祖はたったの8年しか白滝に滞在しなかった。対して、惣角は開祖から土地を譲り受けた以後は亡くなるまで白滝に家を持ち続けた。惣角はあまり家に居つかず、全国を回っていたらしいがそれでも開祖と比べると白滝住民には知られた存在である。

 惣角が亡くなったのは1943年、つまり70代(2007年現在)以上の方々なら幼少の頃に惣角を実際に見ているのである。開祖のことを知っている人となると少なくとも1919年まではさかのぼらなければならないため、現在白滝時代の開祖を知る人物は残念ながらいない。

・惣角の庭の話

 惣角は白滝では「柔道先生」と呼ばれていたらしい。一般の方々には柔道も柔術も対して違いがわからなかったのだろう。そんな柔道先生・惣角は白滝ではちょっと恐れられた人だったようだ。私が勤めていた農場にいるおばあちゃんは惣角の三女・志づかさんと同級生だったこともあり、惣角の家にも入ったことがあるらしいが、家の中には数種類の武器がかけてあり、やはり恐ろしくて早くおいとましたかったと語ってくれた。

 白滝で一番良く聞く話は惣角の庭の話である。現在、惣角の記念碑が立てられているところが実際に惣角が最後に住んでいた土地だとされているが、そこはX字の交差点になっていて惣角の土地は三角形である。その三角地帯をちょっと近道しようとして通りかかったのを見られようものなら、惣角が飛び出してきて怒って追いかけてきたという。捕まったら最後、関節を極められ懲らしめられてしまう。惣角にやられたのが原因で、腕の関節が変形したままの人もいたようだ。

 たかが庭を横切っただけでと思う方もいるかもしれないが、惣角の用心深さは相当なものだったらしい。これは色々な書物で、惣角と関わった先生方が証言している。「男は外に出たら7人の敵がいると思え」という武士のような気構えで生きてきた惣角からすれば、自分の土地に勝手に踏み込んできた者も当然敵とうつっただろう。白滝住民から実際に話を伺って書かれた小説「大雪山のふもとから」によると、姿が見えなくても庭を横切ったことがばれ、どこからか棒が飛んできたこともあったようだ。この本によると、惣角の庭を横切るのは一種の度胸試しにもなったらしい。

 庭のエピソードには惣角の失敗談もあった。馬がイチゴを食べたことに腹を立て、夫婦連れの夫の方を懲らしめていた惣角に妻が「何をする!」と体当たりしたところ、これが当たってしまったという話。惣角はばつが悪くなったのか、そそくさと家の中に引き上げたという。これには惣角のような達人でもそんなことがあったのかと驚いた。開祖もそうだが、達人は武勇伝が目立つのでこういう話が聞けるのはとても興味深い。

 また、庭の話とは別に惣角が道の交通料をとっていたという話も聞いた。この話の真偽は分からないが、見た目や、性格の厳しさから白滝住民にとって惣角はあまりいい印象ではなかったようである。

・惣角の武術指導

 開祖は白滝原野を開拓するため、和歌山紀州団体の団長として白滝に入植し、人々のために働いた。一方、惣角はその厳しい性格や、会津なまりのひどさからそれほど人と触れ合う機会はなかったようである。しかし、大東流の指導は行っていたようだ。惣角がどの程度の指導を行ったのかはわからないが、白滝には惣角から手ほどきを受けた人が結構いたらしい。

 現在は白滝で大東流を継承している方はいない。惣角の弟子だった人達もほとんどが高齢のために亡くなっている。そういった背景もあり、今日では「合気道ゆかりの地」とも堂々と言える様になったようだ。

 先の「大雪山のふもとから」によると、惣角が指導していたのは大東流だけではなかったらしい。同書には惣角が剣道を指導したという記述が出てくるのである。元々惣角が剣術家であったことは知っていたが、この話はこの本で初めて知った。今でこそ、白滝には剣道少年団くらいしかなく剣道熱も下火であるが、一時期の白滝は大変剣道が盛んであり、強い剣士が多かったという。その剣道も元は惣角が始めたものかと思いをめぐらせると、意外なところに惣角の落とした影を見ることが出来る。

・晩年の惣角

 最後に晩年の惣角と同年代を生きた方達から伺った惣角像を記す。

 達人もやはり年には勝てぬと見え、晩年の惣角は大小便垂れ流しの状態で歩くこともままならなかったと聞いた。そのために杖をついているのだが、その杖はとても太い木刀であったという。握り方も変わっていて、通常杖を握るときは親指が上にくると思うが、惣角はその逆で親指が下を向いていたという。この握りであれば、手を返せばそのまま木刀を持つ格好となる。惣角は年老いても常に臨戦態勢であったのだ。おまけに木刀も極太であったというからすさまじい。足腰は弱っても、剣で鍛えた腕力は健在だったのだろう。

 惣角は齢80を越えても全国を旅し続け、各地で教授を行った。その旅立ちの際、白滝の駅に向うときも一人ではろくに歩けず、支えられていたという。しかし、そんな状態でも一人で旅を続けたのだからすごい。そして、旅の途中青森で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。

 自分は惣角の人柄については詳しく知らない。開祖とも確執があったようだし、白滝で話を伺ってもいい印象は聞こえなかったが、その技術と生涯を武にかけた生き様にはとても魅かれるものがある。そして、その惣角と開祖を結びつけた白滝という土地に大変ロマンを感じるのである。


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